2025/04/04 16:12

神輿馬鹿この指止まれ ー3ー


 桜の便りが聞こえると東京の下町あたりに祭りのムードが漂ってくる。会話の中にも祭りの話が登場してくる。東京の祭りは桜とともにやってくる。

 五月に入ると上野の下谷神社に始まって、神田、山王、浅草の三社祭と大きな祭りが目白押しとなり九月まで東京の何処かの空の下で祭りが執り行われている。神輿馬鹿の本格的活動期といえる。

 神輿馬鹿たちがなぜ夢中になって神輿に群がるのか考えてみた。簡単に言えば熱気と高揚感と出会いに引き付けられて神輿馬鹿たちが集まっているように思う。前にも書いた商売敵や恋敵、主義主張の違う赤の他人が重い神輿を夢中で担ぐのだ。そう無我夢中という言葉がぴったりと当てはまる。

掛け声と神輿の揺れるさまの中に入ると一種のトランス状態、無我夢中なのだ。普段なら絶対に関りを持ちたくないような強面の人たちもいるが終わってみればそこには一体感と仲間意識が芽生えている。神輿が終わって直来(なおらい)で酒を酌み交わしてみれば、あの強面の人が企業の社長だったり、高校の校長先生だったり、神輿場(神輿の会場)では全員同じ衣装なので身分も階級もなく全員担ぎ手一同なのだ。

 そして、別れるときには「また、来年」とか「私の街の祭りに来ませんか」とか「また、どこかで」といってそれぞれの街に帰ってゆく。こうして神輿馬鹿が増殖してゆくのだ。